未来進行形

僕の好きなことや気になることについて、色々です。

夢、色彩、時間

表題の「夢」については、梨香子さんが今日のイベント(1st EP『Principal』発売記念Birthdayイベント)にて語った一言から来ている。

 

「夢はひとつじゃなくていい」

 

この言葉こそ、自分が今まで感じていた逢田梨香子という人間が持つ、現時点で示すことのできる唯一の「決意」ではないだろうか。

 

今回は、Birthdayイベントから感じたことやEPついてを、大まかに「夢、色彩、時間」に分けて話していきたいと思う。

 

 

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今日のイベントは、僕にとって全てが新鮮だった。

桜内梨子役」としての「逢田梨香子」は、幾度となく見てきた。

しかし、その「役」というある種のベールを脱いだ、一個人としての「逢田梨香子」に触れるのは初めての経験だった。

単独のイベントに参加したのは、今回が初めてだ。

「まるごとりかこ」のイベントはひとつも行けなかった。

ようやく行けた、今回のイベント。

自分が特に印象深いシーンを、思い出していこうと思う。 

 

まず、「夢はひとつじゃなくていい」という言葉。

これは、『Principal』に収録された「FUTURE LINE」の歌詞について、進行の松澤さんと話している時に、梨香子さんから発せられた言葉だ。

 

ここから叶えたい夢を 数えながら踏み出そう

 

夢、という言葉にはある種「魔力」があると思っている。

例えば、「私の夢は歌手になることです!」と言ってみたり。 

それは他には変えがたいもの。

自分の憧れる存在であり、なりたいと願うものであり、こうありたいと想うものでもある。

梨香子さん自身、声優アーティストとしてデビューしてから、今の状況に至るまでに「気持ちが追いついていない」時期があったと言う。めまぐるしく周囲の環境が変化していく中で、どのように振る舞えばいいのか。

そういう話題は、こと逢田梨香子というシンガーに限った話ではなかろう。

夢を目指す誰もが一度は経験することである。

その中で、「夢」という言葉に触れた時にこそ、自分の心にある、ほんの僅かな「想い」が溢れ出るのではないだろうか。

人間というのは時に、「自分はこうなりたい」と想う気持ちが「だからこそ、自分は今こうあらねばならない」と自身にそれを強いる気持ちに変わってしまいがちである。

それは、視野狭窄を招くものだ。

梨香子さんがそれを取り除けたのは、ことに「夢」をどのように解釈するかの手続きによってではないだろうか。

 

「数えながら」

 

「夢を数える」という言葉が、「夢はいくつも持っていい」という発想につながる。

「無色透明」と表現した今の自分に、どう彩りを与えるのか。

決してモノトーンにはならず、カラフルでいいのではないか。

そうした「視点」を与えてくれたという意味において、さすが畑亜貴だと感嘆せざるを得ない。

 

次に、楽曲ごとの色について。

梨香子さんは、「Principal」の楽曲から色のイメージを連想させた。

今回のイベントでも、楽曲に対する「色」のこだわりというのが所々で見られた。

たとえば、「Premium Live」における「アズライトブルー」。

 

「アズライトブルー、っていう色があったらいいのに」

 

アズライトブルーとはどのような色なのか。 

「AZURITE BLUE」というのがアルファベット表記だが、「AZURITE」は「AZURE」、つまりフランス語で「空」という意味を基にしている。

だから、アズライトブルーというのは「空のような青」と言い換えられるだろう。

「空のような青」という意味は、アズライトブルーの歌詞にも表れている。

 

果てしない空を羽織る
夜明けの鳥のように 羽ばたけるなら
恐れることなく どこまでも

 

どこまでも青く 澄み渡ってく想いを見つけたら
雨はもう 上がるから

 

こうした歌詞は、梨香子さん自身の今抱える「迷い」や「葛藤」を振り払うための、梨香子さんに向けたエールともなる曲ではないかと考えた。

それがひいては一般性を持ち、あらゆる人の心に響く曲になる。

なぜなら、その「迷い」や「葛藤」が普遍性を持つからに他ならない。

「迷い」や「葛藤」を「くすんだ心の奥底にある色」と表現しているのか、この曲に関して梨香子さんはこう語っている。

 

もともと、歌詞もタイトルも今とは違いました。この曲を頂いた時に私の中で青、水のイメージがありました。いくつかある候補の中で出てきたタイトルが「アズライトブルー」で、爽やかな青ではなく、ちょっとくすんだ心の奥底にある色というイメージなんです(1)。

 

ORDINARY LOVEは「初めていただいた曲」ということで「無色→白」、FUTURE LINEでは「初夏」から「淡い黄色、オレンジ」を連想させた。

こうした独特の感性というのは、間違いなく梨香子さんの強みと言っていいだろう。

また、曲順にも梨香子さんは「色彩」を取り入れている。

 

1曲1曲のカラーがわかりやすかったので、決めやすかったです(2)。

 

「RARARAdio」でのそうした色の話でいうと、(今回は出てこなかったが)「I will」については「浮かぶ水面→限りなく無色、掴めない色」と、「アズライトブルー」では「炭酸水」という表現もしていた。

「I will」に関してはバラード曲ということもあり、梨香子さん自身不安もあったという。

 

バラードは表現力がないと歌うのが難しい、すごく大人っぽい雰囲気ですし、私に歌えるだろうかという不安が大きかった曲です。でも、歌詞が付くことによって、ここに辿り着くまでの自分を思い出させてくれた、身近に感じることが出来た曲なんです。すごくグッと来た1曲です(3)。

 

後半の部分について、この歌詞に注目した。

 

あの頃とは違うから
いま守るべきモノがあるから

 

過去のことを全て「あの頃」という言葉に内包し、「いま」と対比させて考えているように感じられる。

「過去」と「いま」という時間の対比にスポットを当てることで、自分の足跡を振り返りながらもこれから先へ進んでいきたいという、よりこの曲が身近に感じられるポイントがあると考えられる。

それが、「限りなく無色」と「0地点の現在」を表現するに至った理由ではないだろうか。

 

「ORDINARY LOVE」は先ほども述べたように、梨香子さんが初めて受け取った正真正銘の最初の曲である。

この曲は「川柳少女」のタイアップ曲というのもあり、おそらくキャラクター同士の関係性を歌詞にしていると思うが、同時に梨香子さんと支える人達を描いた曲でもあるように思う。

 

ありきたりな 日常でさえも
あなたとなら 羅きだす
たとえなにが起きたとしても
たまに傷つき傷つけても
息が触れあうほど近くで
何気ない日を信じていて

 

「ありきたりな日常」という言葉は、めまぐるしさとは真逆の関係である。

ただ、梨香子さんの声優アーティストとしての活動が継続していく中で、きっと「ありきたりな日常」がいつの日か訪れるのかもしれない。

それは本来の意味での「姿」を呈していて、しかしそれ自身がきらめいているわけではない。

支える人との距離感を大切にする梨香子さんにとって、その距離感を「息が触れ合うほど近く」と表現し、それらによってきらめく自分の何げない日常から溢れ出る「愛」を表現しているのではないだろうか。

それは、初めて受け取った歌詞であるからと同時に、やはり梨香子さんにとっては「無色透明」そのものだからであろう。

 

そもそも色彩というのは、「眼に映る」からこそ認識できるものであり、それはまた「現実」が映るからこそ、色彩が加わるのだと考えられる。

しかし、移りゆく現実は時として「迷い」となり、自分をがんじがらめにしてしまう。

そのがんじがらめからの解放、つまり、今の自分は何もないが「君」がいれば自由になれる...と歌ったものが「君がくれた光」である。

 

繋いだ この手のぬくもりが
いつだって 迷い 溶かすから
これから どんな明日が来ても
ずっと 忘れない 今を

 

また、この曲の最後の歌詞に注目したい。

 

あの日とよく似た 風が今日も 未来へ翔ける

 

「風」というのは道を選ばない。

これが、自分の中では「自由」の象徴だと解釈できた。

ただ、今回この曲が披露されることはなかった。

この曲が、「今現在」から少し離れた「未来」を意識した歌だからだと思う。

立ち止まることもいつかあるかもしれないが、その時に「君」という存在が「光をくれる」ことで自分をまた突き動かし、自由へと向かわせてくれる。

それについて梨香子さん自身は、こう語っている。

 

この曲は迷いもある中で、どう進んでいかなければいけないのか、進むべき道がしっかりとある曲なのかなと思います(4)。

 

そうした意味を考えると、「色彩」のみならず、「Principal」というEPはそれが持つ「時間軸」の長さ、「重厚性」をも読み取ることができるのではないだろうか。

 

話を転じるが、今回は歌だけではなく「逢田梨香子」といういち声優の姿も見ることができた。

それが「電子プレリュード」である。旧知の仲である北原沙弥香さんと共に演じたこの物語。

ストーリーもさることながら、梨香子さんの声の出し方、表情、目線、身体の使い方。

そうした細かい部分に特に注目して見ようと考えた。

 

声優は、喉を使う仕事であるが、喉だけを使うのではなく、身体全体を使うものであると再確認できた。

特に今回の「電子プレリュード」は起承転結がかなりはっきり描かれ、北原さんも梨香子そんも、場面場面で移り変わる登場人物の心情を声だけでなく「オーラ」を使いながら表現していったように感じられた。

「怒り」の心情や「悲しみ」の心情、「喜び」の心情。

様々な「自己」を短時間に使い分けるというのは朗読劇ならではの難しさ、醍醐味である。

今回、特に梨香子さんは朗読劇に初挑戦だという。

初挑戦だと思えないほどしっかりと「自己」の使いわけが出来ており、ここに梨香子さんの声優としての能力の高さをうかがえた。

この初挑戦の舞台に立ち会えたことも、思い出の一つだ。

 

生のイベントだからこそ感じられる空気感や想いがある、と常々思っている。

その中でも今回は特に自分の好きなアーティストのイベントということで、『Principal』に対してどう向き合っているのか、何を考えているのかという点について深く知ることができた。

特にメーキング映像に関してはレコーディングの現場やPV撮影の現場での、梨香子さんの「素顔」を垣間見ることができた。

「FUTURE LINE」の歌詞に向き合っている時の梨香子さんの表情は真剣そのものであって、「何かここから生み出せないか」と模索しているような表情に見えた。

 

そういった数々の「姿」を間近に見ることで、自分はより梨香子さんが身近に感じられるようになった。

1st Singleの発表もあり、これからどうなっていくのかは分からない。

しかし、梨香子さんなりの「様々な夢」に向かっていってほしいと改めて願うような、そんなステージであり、梨香子さんの誕生日の1日であった。

 

そして何より、これからの梨香子さんの活躍にますます期待が膨らむ1日であった。

 

注:(1)https://www.musicvoice.jp/news/201906190122121/

(2)同上。

(3)同上。

(4)同上。