ジェラシー
人間は誰しも、ジェラシーを感じるものだと思う。
幸福な人間を見て、妬んでしまう。
当たり前の感情。そんなのを否定する人間は人間ではないと思う。
人生は上手くいかないことだらけ。人生なんとかなる、と言えばそうかもなとは思うが、上手くいってる人間はなんとかしようとしなくても自然になんとかなっている。
だから、「なんとかなる」はある種の救世の命のようなものであると確信している。
自分は自分に自信が無い。
自信が無いからこそ、周りを見る。
周りを見ると、楽しそうな人間、嬉しそうな人間、悲しそうな人間、辛そうな人間、色々な人間がいる。
自信が無い、ということを自覚したら、それは自分の視界にバイアスをかける。
嬉しそうな人間は濃く見える。悲しそうな人間は薄く見える。
嬉しそうな人間は自分を好いている。楽しそうな人間は今の自分自身を肯定している。
心の奥底で引っかかるものがある。釣りと同じで、底に引っかかったら心は地上に戻らない。引っ張るのは自分自身だからだ。
嬉しそうな人間、楽しそうな人間というのは自分にないものを持っている。ギャップを埋めるために適応機制を働かせようとする。その働かせ方こそが当人の人格を形成するための引き金となっている。
僕は、純粋に、「ジェラシー」を感じる。
画像は@shinonome_1rさんから。
この画像で少し心が救われました。
ありがとう。