"Sunshine" is the future of Aqours.

Aqoursって、星の数々だ。いいなぁ、いいなぁ。

重ね言葉について

重ね言葉、ありますね。

 

例えば、頭痛が痛い。

 

なんかおかしいです、と言うためのフレーズになりましたね。

 

個人的な、重ね言葉についての考えをまとめておきます。

このブログ記事に沿って書かせていただきます。一読した感じではちょっと感覚がこの人とは合わないな、と。

ただ僕より数億倍説得力あります。

 

もう感覚の問題なので、合わない人とはとことん合わないだろうなと思いますが...

 

https://marginaliae.wordpress.com/2015/10/31/%e7%84%a1%e9%a7%84%e3%81%aa%e5%86%97%e8%aa%9e%e3%82%92%e9%87%8d%e3%81%ad%e3%81%a6%e9%87%8d%e8%a4%87%e4%bd%bf%e7%94%a8%e3%81%99%e3%82%8b%e9%87%8d%e8%a8%80%e7%94%a8%e6%b3%95%e3%81%ab%e3%81%a4%e3%81%84/

 

1.神経痛が痛い

 

神経痛ってなんですかね。

めんどいので出典は全部wikiで。

 

人の体においてさまざまな原因により、末梢神経が刺激されることに起因する痛みのことである。

 

だそうです。

神経痛が痛い、は変な気がしますね。

 

神経痛、っていうのは神経「による」痛み。

 

とすれば、です。

神経痛が痛い、ではなく、神経痛がする、とすべきではないでしょうか。

 

頭痛だってそうです。

頭「における」痛み、です。

 

ここで、自分なりの定義を立ててみます。これは確実絶対とは言えません。というかどっちでもなさそうですが。

 

定義1:「ーにおける〜」、「ーによる〜」→重ね言葉になりうる

 

です。 

細かく言うと、対象が「由来または構成要素」となる時、です。

 

重ねて言いますが、あくまで「感じがする」なので論理的に説明はつきません。しかもこれらを全部証明はできません。あくまで、大体こうじゃないか?という原則に過ぎません。と断っておきます。

 

では、次。

 

2.筋肉痛が痛い

 

なんか違う気がします。

定義1によれば、「由来」は重ね言葉になりえますね。

筋肉痛、というのは言わずもがな「筋肉」が由来です。筋肉がなんらかの原因で痛む、それを脳みそが認識する。こういう仕組みではないでしょうか。

だから、「筋肉痛がする」ではないでしょうか?

 

3.炒飯を炒める(など)

 

僕個人としてはこれでも正しいと思いますが...

定義1によると、炒飯は「由来」でも「構成要素」でもなく、ひとつの「料理」です。要素とか過程とか、そういうの抜きで。

だから、重ね言葉にはなり得ないのではないでしょうか。

 

そもそも、炒飯というのは「もの」として捉えてます。

僕が思うに、「もの」かそうでないかは結構大きな違いで、「もの」は基本重ね言葉にならない気がします。

ただ、「もの」であっても「自分の身体に関わるか」は問題で、「自分の内側に関わるもの」は重ね言葉が成立し得ると思います。

 

定義2:「もの」→基本重ね言葉にならない

定義3:「もの」のなかで、例外的に「自分の内側に関わる」→重ね言葉になりうる

 

です。

 

で、1or2,3は独立です。

 

だから、

 

1→重ね言葉になりうる

1→3→×(論外)

 

2→重ね言葉になりえない

1→2→×(論外)

2→3→重ね言葉になりうる

 

です。

 

ところで、これは提案ですが、

「炒飯を作る」ではどうでしょうか。

 

料理というのは「行為」です。

 

この記事で言えば、

茹で卵を作る

お好み焼きを作る

唐揚げを作る

です。

 

だから、結論としては、炒飯を炒めるでも何も問題はないが、普遍性を尊重するのなら料理は「作る」が最適ではなかろうか?が僕の考えです。

このブログ記事でも「作る」には言及されています。ただ、僕は「作る」しかない!と言いたいのではなく、普遍的に使えるのは「作る」だからとりあえずそれ使っとけば議論は避けられるよねってだけです。

 

 

4.歌を歌う

 

これは重ね言葉ではないと思います。

歌、というのは由来でも構成要素でもなく、あくまでも「対象」です。

歌による歌、歌における歌...重ね言葉にはならないでしょう。

 

もっと言うと、「自分の内側に関わらない」歌は重ね言葉になりえません。

 

自分の「外側」ですよね、歌うことは。

 

5.違和感を感じる

 

これは個人的には「重ね言葉」だと思ってるのですが...ただもう表現として仕方ないと思います。使ってる人多すぎます。

 

僕が重ね言葉と思う根拠はさっきの通りで、「違和感」は「もの」です。で、「自分の内側に関わ」りますから、定義2→3で重ね言葉じゃないかなぁと思うのが個人的な意見です。

違和感というのは、「和と違う感」ですから定義1には反してます。

嫌悪感、も同様で、「自分の内側に関わる」ですから...

 

6.伝言を伝える(など)

 

伝言を伝える、はかなり微妙なラインで、厳密には重ね言葉じゃないかなぁ、と思います。

定義1によれば、伝言は「言を伝う」で言葉は「由来」です。

 

あ、伝達を行う、は伝達が「伝えて達する」ですから「達」が由来でも構成要素でもなく結果なので、重ね言葉にはなりえません。

 

伝言をする、伝言を伝える、どちらも正しい気がします。

 

伝言というのは「自分の内側に関わるか」と言われたら...

ニュアンスとしては、伝言は「相手」がいることが前提なので「内側」はあまり重要ではないですね。

 

だから、定義2に反しているから重ね言葉じゃない、とも言えます。どっちでもOKではないでしょうか。

 

返事を返す、も、定義2によれば「もの」ですから重複表現になりえますが、定義3の「自分の内側」に反してますから、重複表現になりえません。

 

おわりに

 

こんなところですかね。

 

僕なりの定義をまとめてみます。基本的にこの3つに沿うんじゃないかと思いますが検証しようがないので、誰か意見あればください。

 

定義1:「ーにおける〜」、「ーによる〜」→重ね言葉になりうる

定義2:「もの」→重ね言葉にならない

定義3:「もの」のなかで、例外的に「自分の内側に関わる」→重ね言葉になりうる

 

そして、これら3つは1と2,3に大別され、大体の法則として

 

1→重ね言葉になりうる

1→3→×(論外)

2→重ね言葉になりえない

1→2→×(論外)

2→3→重ね言葉になりうる

 

です。

 

でも結局のところ、なりうるを満たす場合満たさない場合って曖昧で、もうどうでもよくなってくるんですね。

 

ただ、音的な重なりとかもあるんじゃないかなあ。

 

個人的な感覚なので、違う人も絶対います。否定できません。

あくまで僕はこうじゃないかと思う、という一意見として、です。

 

おわり。