"Sunshine" is the future of Aqours.

Aqoursって、星の数々だ。いいなぁ、いいなぁ。

ライブ

僕が普段音楽を聴く時、たまに「これがライブでやったとしたらどうなるか」ということを考えてます。 

 

僕にとってライブとは「音楽を共有する最高の手段」であると思います。今から述べることは僕のライブに対する考え方です。

 

 

例えばライブとは、「音楽を聴く」ために行くもの、という考え方は極めてまっとうです。しかし、それを目当てに行くだけならCD音源でいい。なぜあえてライブに行くのか。

 

「演者と同じ時間に同じ空間に存在する」

 

ことが「幸福」だと純粋に感じられるからなんでしょう。結局は自分の幸福を満たすために行くのですから。

 

CD音源や、YouTubeなんかで見てる映像は、たとえ自分と演者は同じ時間に生きていても、同じ場所には決していない。

 

自分と相手の距離は、近いようでいてとても遠い。 

 

四角い箱の中で満たされる心、実現される幸福。

 

それは多分、物足りないんですよね。

 

だから、カラダ全体で相手を受け止めたい。言わば、愛する心に近いと思います。

 

信頼できる他者を無条件に受け入れる。交わることのない人生が交じり合う。それは自分の欲求を最大限に満たす行為です。

 

耳だけ、目だけじゃ物足りない。しかも相手は目の前にいない。三次元的にそこに存在していない。VRはそれを満たすための道具ですが、ライブには敵わない。

 

音楽を共有する会場は自分の部屋ではない。電車の中でもベッドの上でもない。

 

小さなライブハウスから大きなホールやアリーナ、果ては○○ドームなど。

 

そういった、

「大きな空間の中に立つ小さな自分」

は、それは決して自分だけではないという安心感とともにもたらされます。

 

周りにも同じ気持ちでいる仲間がいて、受け止めるべき相手が待っている。

 

ライブが始まる前のざわめき、形容しがたい高揚感。流れるひんやりとした空気が肌を伝って口から鼻から耳から入ってくる。ライブでしか味わえないものですよね。

 

僕は、ライブというのは、演者が必死に何ヶ月も前から構想を練り、それに向けてトレーニングを積むものだと思ってます。当たり前ですが。

 

映像からなにから、相手は自分に最高のパフォーマンスをしようと思ってステージの上に立ち、自らの全てを曝け出す。自分とはこういうものだ、グループなら私たちとはこういうものだ、と。 

 

その「自己表現」が声だけではなくカラダを使ってできる。ライブの醍醐味はそこにあります。

 

会場の残響は決して普段味わえない。鳴り響く低音はカラダの芯を揺るがしていく。本当に、良いものだと思います。

 

私はそういったパフォーマンスに対して心からの敬意と共に、その音楽と眼に映る像をカラダ全体で受け止めようと思うのです。

 

そこに特別な感情はいらないし、深く考えなくたっていいんです。

 

ただ、時と音楽に身を任せる。カラダを使って相手の要求に応え、時には自らも要求していく。

 

相利的な時間と空間が実現され、最高の幸福が訪れる。繰り返しですが、ライブでしか味わえない。

 

今、目の前に実際に憧れの人がいる。いつも聴いてるあの人がいる。普段は眼にすることのできない人がいる。そして、好きな音楽が鳴っている。

 

そういった要求が非日常的な形式として、ライブでは提示されてしまう。それは幸福そのものです。 

 

また来たいと、終わった時に思える。まだ終わってほしくないと思える。夢から覚めた現実を受け入れられない。

 

だからこそ、ライブという夢は夢であり続けるのだと思います。

 

以上が、僕にとってのライブに対する考え方です。

 

6月の3rdライブ、1日だけですが全力で楽しみたいと思います。