"Sunshine" is the future of Aqours.

Aqoursって、星の数々だ。いいなぁ、いいなぁ。

4th LIVEに寄せて 〜「はじまり」をもう一度〜

 

※この記事を読む方は、是非ライブ2~3時間くらい前に読んでくれるといいと思います。とくに最後の部分はもったいぶって読んでほしいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やはりAqoursにとっての4thって、「はじまり」です。「まとめ」であって、「はじまり」なんです。

 

 

堅苦しくはないです。

ここから、今回の記事を始めたいと思います。

 

 

では、それはなぜか?

 

 

当たり前ですが、「イマを重ねて未来に行く」からです。

だから、1st〜3rdまでを振り返って、Aqoursは「どういう軌道を描いたのか」、「何を受け取ったのか」、「いつはじまるのか」。この3つについて、4thは再確認の場となるでしょう。

 

イマを重ねる、というのは「その時その時」を重ねることであって、振り返った時にそれらは過去のものです。だからこそ、実は大切なことは「過去」に存在しているのではないでしょうか。

 

ところで、Aqoursにとって大切なことは、「君」という存在です。勇気はどこに?君の胸に!もそうですし、挙げれば本当にキリがないのですが。

で、「君」って誰なの?っていう話って結論出てるんでしょうか。総まとめのライブですし、ここで少しこのキーワードについては話しておきたいと思います。

 

僕は、はっきり言って「君」とは「キャスト」のことだと思います。こんなこと言う人は他にいない気もしますが、あえて。

そもそも、Aqoursの「アニメ」では、作詞は高海千歌です。決して畑亜貴じゃない。あくまで高海千歌高海千歌であって、畑亜貴じゃない。高海千歌がもし「君」という言葉を使うとするならば、誰に使うのか?という話になります。応援する人達?仲間?うーん。色々な意味がありますが、強いていえば...

 

Aqoursのメンバー1人1人」じゃないかな、と思います。 

 

お前No.10聴いたのかよって言われそうですが...

10人目は君で、君「も」仲間であるということは。10人目というのが、ファンや支える人達だとするなら、キャストだってファンであるはずです。たとえば嵐の二宮は、自分のことを「嵐1の嵐ファン」と言っています。それに近い部分があると思います。

Aqoursのメンバーやキャストとファン、ラブライブ!が「みんなで作る物語」であるならば、その2つに越えられない壁や、明確な線引きがあっていいのでしょうか。

こじつけだと思う人もいると思いますが、個人的にはそう考えてます。

 

この話をしだすと深くなりそうなので、ここで追及するのはやめておきます。

 

そもそも、「この9人だからこそ見れた景色があった」わけです。オンリーワンの景色を見れたのは、「君」に逢えたから。

WONDERFUL STORIESでもそういう歌詞がありますが、それは千歌にとっては奇跡としての梨子、幼馴染の曜や果南、黒澤姉妹、理事長マリー、そしてズラ丸でありヨハネだとしてもおかしくはないと思います。

 

 

しかし!やはりその陰には、「No.10」がいたということは絶対に忘れてはなりません。

 

 

だって、Aqoursほどキャラとキャストが表裏一体なものはないのです。だから、「君」はキャラでもあって、キャストでもある。キャラやキャストとファンの間の線引きはなくても、キャラとキャストの間には、明確に"次元の壁"があります。

 

この壁を突き抜くための言葉は、「夢」であって、「希望」であって、「未来」だと思います。キャラとキャストを繋ぐ言葉です。

キャラに夢や希望や未来があるのと同じく、東京ドームに立つキャストにも、これからの夢や希望や未来がある。

そこにスポットを当てると、Aqoursの曲はキャストにとって思い入れが深くなる、当然の話です。自分と重なっている。だから、キャラも「現実」を知らなきゃならない。キャストも幾多の「現実」を知ることになる。

 

 

理想ばかりを並べ立てても、夢には届かない。何でも叶う、そんなうまい話はない。

 

 

それを知ること、無理なことは無理であると分かること、痛みを知ることで、人間は「成長」できるんだと思います。

それが、「廃校」問題をあれだけ引っ張った理由だと、今にして思います。当時は全く納得いきませんでしたが、今は納得できます。これも1つの形です。

 

痛みを知る、という点では、やはり1stの梨香子さん。あれをかつてハッキリと「プロとして失格」と断じた梨香子さんに驚かされたと同時に、その時に「この人だ」と思いました。4thも、最高に輝いてくれるでしょう。みんなのために、梨子のために。

あの時の悔しさは、いまだにあると思います。しかし、それを経験した、何よりもあそこから最悪な事態を脱することができた梨香子さんって、本当に「強い」です。痛みを知って「成長」できるって、本当に大切なことだと思いました。だから、「廃校を知った時にどう思ったか?」という問いに「ここからだ」と返せたんだと思います。

他のキャストがすぐ受け入れられなかった中で、ほぼ唯一と言っていいほど「現実」を分かっていました。梨香子さんの「強さ」のひとつに、必ずあの経験があります。だから、どんなことにも怯まず立ち向かうことが出来て、何なら楽しめたりするんじゃないかと思います。

 

かなり本筋から話が離れたので、そろそろ戻しときますか。

 

4thというのは、梨香子さんに限らず、そうした「現実」を知った、本当に「成長」することができたAqoursを目の当たりにするわけです。1stのように、無邪気に夢ばかりを追いかける姿だけではない。

そこに、グループとしてのさらなる深みが生まれると思います。それをライブという形で観ることは、何よりもAqoursを感じられるという点で良いことです。

 

何回も言いますが、Aqoursというのは、どのアニメよりも「キャラとキャストが表裏一体になっている」わけで、キャストの姿をキャラに投影し、あたかも自分がキャラを見ているかのように思う。

 

そうして、「Aqours」を知るんです。

 

 

 

SAILING TO THE SUNSHINE、これは言わずもがな、1期のサントラ集の表題です。

サウンドトラックというのは、物語を引き立てるための裏支えであると同時に、それ単体で物語が想起されるものです。場合によって、「この場面があったからこの曲が出来た」ということを示す目印にもなります。曲と物語をつなぐ役割を果たしていることもあります。

しかしそれを、ライブの表題にまでしてしまう意味とはなにか?

やはり、「はじまり」だからだと思います。こうしたサウンドトラックがライブでは頻繁に出てくると思います。それらひとつひとつが、ライブを構成する数々の曲のモチーフであって、伏線だと思います。そうすることで、ライブで演じられる曲はなお一層の説得力、訴求力があるんじゃないだろうかと。

「つなぐ」役割を果たしているサウンドトラックは、物語で言ってしまえば「裏方」です。それを表に出すのは、「No.10」とどこか通じるところがある気がします。一見すると脇にいるようでいて、実は、本体にとってのインフルエンサーになっています。意味のないことなんてないんです。

だからこそ、ぜひライブではサウンドトラックに耳を傾けるべきだし、できることなら、事前の予習ではサウンドトラックを聴き込むべきだろうと思います。特に、曲のモチーフになった曲、物語の転換点となった曲については、です。それが今回のライブの本質と言って過言ではないと思うからです。

それが演奏されなくても、「この曲が裏にはある」というのを知っておくだけでも、ライブの見方が変わってくる気がします。

 

ぜひ、推しの一挙手一投足に目を移して行くと同時に、耳を澄ませてみてほしいです。新しい見方が、きっと出来ると思います。

 

 

 

 

そろそろ、この記事も締めたいと思います。

 

読んでくれる人がいるなら、ここからは開演に先立ってスマホを閉じる前に、最後に読んでほしいところです。

 

 

 

 

さて、「現実」を知り、「輝き」を知り、「眠る力」を知った。強くなったAqoursが、4thからまたスタートを切ります。

 

 

では最後に、WONDERFUL STORIESのおわりの歌詞をもう一度見てみたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

思い出からは 流れるメロディー

 

Aqoursは、結成から、そして1stから3rdまで、アニメもあったし、色んなことがありました。その思い出たちから、今、メロディーが溢れ出ています。

 

あたらしい夢が聞こえる 

 

遠くから、「誰の声かは分からない、でも聞こえた」、あたらしい「夢がたくさん」あります。「消えない夢が」、そこにはあります。

 

いつかまたはじまるんだよ 

 

私たちはどこから来たのか、私たちは何者か、私たちはどこへ行くのか。その答えを探す旅は、「期待」を背に立つべきものです。「はじまりと、さよならをくりかえして」進むんです。

 

次の DREAMING DAYS

 

まだ夢を見たいなら、今までを見て、イマをみて、ミライへ進んでいく。

 

それこそ、「SAILING TO THE SUNSHINE」です。

 

 

 

 

 

僕は、色々な都合で、東京ドームには行けません。だから、近くで、心の片隅で、Aqoursの新しい船出を祝います。

 

 

 

 

 

 

何を恐れようか!Aqoursは何も怖くありません、「現実」を知ったことは、何よりも強い心の支えです。「自分」を知ったことは、何よりも強いみんなへのチカラです。

 

 

 

 

 

 

さてさて、時が満ちたようです。

 

 

 

 

 

 

いつかまた、ここからまた、はじまるんです。

 

 

 

 

 

 

「10人目」は、いつもそばにいます。

 

 

 

 

 

 

胸を張って、大舞台に。

 

 

 

 

 

 

 

さぁ、行ってらっしゃい、Aqours

重ね言葉について

重ね言葉、ありますね。

 

例えば、頭痛が痛い。

 

なんかおかしいです、と言うためのフレーズになりましたね。

 

個人的な、重ね言葉についての考えをまとめておきます。

このブログ記事に沿って書かせていただきます。一読した感じではちょっと感覚がこの人とは合わないな、と。

ただ僕より数億倍説得力あります。

 

もう感覚の問題なので、合わない人とはとことん合わないだろうなと思いますが...

 

https://marginaliae.wordpress.com/2015/10/31/%e7%84%a1%e9%a7%84%e3%81%aa%e5%86%97%e8%aa%9e%e3%82%92%e9%87%8d%e3%81%ad%e3%81%a6%e9%87%8d%e8%a4%87%e4%bd%bf%e7%94%a8%e3%81%99%e3%82%8b%e9%87%8d%e8%a8%80%e7%94%a8%e6%b3%95%e3%81%ab%e3%81%a4%e3%81%84/

 

1.神経痛が痛い

 

神経痛ってなんですかね。

めんどいので出典は全部wikiで。

 

人の体においてさまざまな原因により、末梢神経が刺激されることに起因する痛みのことである。

 

だそうです。

神経痛が痛い、は変な気がしますね。

 

神経痛、っていうのは神経「による」痛み。

 

とすれば、です。

神経痛が痛い、ではなく、神経痛がする、とすべきではないでしょうか。

 

頭痛だってそうです。

頭「における」痛み、です。

 

ここで、自分なりの定義を立ててみます。これは確実絶対とは言えません。というかどっちでもなさそうですが。

 

定義1:「ーにおける〜」、「ーによる〜」→重ね言葉になりうる

 

です。 

細かく言うと、対象が「由来または構成要素」となる時、です。

 

重ねて言いますが、あくまで「感じがする」なので論理的に説明はつきません。しかもこれらを全部証明はできません。あくまで、大体こうじゃないか?という原則に過ぎません。と断っておきます。

 

では、次。

 

2.筋肉痛が痛い

 

なんか違う気がします。

定義1によれば、「由来」は重ね言葉になりえますね。

筋肉痛、というのは言わずもがな「筋肉」が由来です。筋肉がなんらかの原因で痛む、それを脳みそが認識する。こういう仕組みではないでしょうか。

だから、「筋肉痛がする」ではないでしょうか?

 

3.炒飯を炒める(など)

 

僕個人としてはこれでも正しいと思いますが...

定義1によると、炒飯は「由来」でも「構成要素」でもなく、ひとつの「料理」です。要素とか過程とか、そういうの抜きで。

だから、重ね言葉にはなり得ないのではないでしょうか。

 

そもそも、炒飯というのは「もの」として捉えてます。

僕が思うに、「もの」かそうでないかは結構大きな違いで、「もの」は基本重ね言葉にならない気がします。

ただ、「もの」であっても「自分の身体に関わるか」は問題で、「自分の内側に関わるもの」は重ね言葉が成立し得ると思います。

 

定義2:「もの」→基本重ね言葉にならない

定義3:「もの」のなかで、例外的に「自分の内側に関わる」→重ね言葉になりうる

 

です。

 

で、1or2,3は独立です。

 

だから、

 

1→重ね言葉になりうる

1→3→×(論外)

 

2→重ね言葉になりえない

1→2→×(論外)

2→3→重ね言葉になりうる

 

です。

 

ところで、これは提案ですが、

「炒飯を作る」ではどうでしょうか。

 

料理というのは「行為」です。

 

この記事で言えば、

茹で卵を作る

お好み焼きを作る

唐揚げを作る

です。

 

だから、結論としては、炒飯を炒めるでも何も問題はないが、普遍性を尊重するのなら料理は「作る」が最適ではなかろうか?が僕の考えです。

このブログ記事でも「作る」には言及されています。ただ、僕は「作る」しかない!と言いたいのではなく、普遍的に使えるのは「作る」だからとりあえずそれ使っとけば議論は避けられるよねってだけです。

 

 

4.歌を歌う

 

これは重ね言葉ではないと思います。

歌、というのは由来でも構成要素でもなく、あくまでも「対象」です。

歌による歌、歌における歌...重ね言葉にはならないでしょう。

 

もっと言うと、「自分の内側に関わらない」歌は重ね言葉になりえません。

 

自分の「外側」ですよね、歌うことは。

 

5.違和感を感じる

 

これは個人的には「重ね言葉」だと思ってるのですが...ただもう表現として仕方ないと思います。使ってる人多すぎます。

 

僕が重ね言葉と思う根拠はさっきの通りで、「違和感」は「もの」です。で、「自分の内側に関わ」りますから、定義2→3で重ね言葉じゃないかなぁと思うのが個人的な意見です。

違和感というのは、「和と違う感」ですから定義1には反してます。

嫌悪感、も同様で、「自分の内側に関わる」ですから...

 

6.伝言を伝える(など)

 

伝言を伝える、はかなり微妙なラインで、厳密には重ね言葉じゃないかなぁ、と思います。

定義1によれば、伝言は「言を伝う」で言葉は「由来」です。

 

あ、伝達を行う、は伝達が「伝えて達する」ですから「達」が由来でも構成要素でもなく結果なので、重ね言葉にはなりえません。

 

伝言をする、伝言を伝える、どちらも正しい気がします。

 

伝言というのは「自分の内側に関わるか」と言われたら...

ニュアンスとしては、伝言は「相手」がいることが前提なので「内側」はあまり重要ではないですね。

 

だから、定義2に反しているから重ね言葉じゃない、とも言えます。どっちでもOKではないでしょうか。

 

返事を返す、も、定義2によれば「もの」ですから重複表現になりえますが、定義3の「自分の内側」に反してますから、重複表現になりえません。

 

おわりに

 

こんなところですかね。

 

僕なりの定義をまとめてみます。基本的にこの3つに沿うんじゃないかと思いますが検証しようがないので、誰か意見あればください。

 

定義1:「ーにおける〜」、「ーによる〜」→重ね言葉になりうる

定義2:「もの」→重ね言葉にならない

定義3:「もの」のなかで、例外的に「自分の内側に関わる」→重ね言葉になりうる

 

そして、これら3つは1と2,3に大別され、大体の法則として

 

1→重ね言葉になりうる

1→3→×(論外)

2→重ね言葉になりえない

1→2→×(論外)

2→3→重ね言葉になりうる

 

です。

 

でも結局のところ、なりうるを満たす場合満たさない場合って曖昧で、もうどうでもよくなってくるんですね。

 

ただ、音的な重なりとかもあるんじゃないかなあ。

 

個人的な感覚なので、違う人も絶対います。否定できません。

あくまで僕はこうじゃないかと思う、という一意見として、です。

 

おわり。

 

 

 

 

ライオンズの優勝について

ライオンズの優勝についてです。

正直本当に今年浪人したのが最悪でした。

まぁ、今年優勝してくれれば個人的に励みになるし、頑張ってほしい。

 

さて、最近のライオンズは優勝争いですが、ちょっと言いたいことが色々あります。

 

まず、優勝争いはライオンズとホークスの2チームに絞られた、と考えています。

ファイターズにもチャンスがないわけではありませんが...後述しますね。

 

まずはホークスから見ていきます。

 

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まずはこれ、なんだ?

めちゃくちゃ勝ってるんですよねぇ、なんでだろう、と思いました。

ホークスファンではないどころかアンチなのであまりホークスについては知らないのですが、どうも1番2番が機能しており、先発が充実している、と。

 

そうなんですよねぇ。牧原今宮ですか。

牧原はここ3試合で13打数6安打。今宮は15打数7安打。すごいです。

あとは先発、ミランダ大竹が予想以上に使えてしまっているというところですね。

他の先発は正直パッとしなかったですが、ここ2試合で7/11が先発に勝ち。なんてことだ。

あとはグラシアルですね。打ちまくってるんだよなぁ。

 

ただ、ですね。

この勢いが正直続くのか、と言われるとちょっと...

そもそも1番2番が固定されたのもここ最近の話、こんな勝率でいけるのか、と。

あとは、ほとんど下位チームしか残ってない。下位チームがどれだけ頑張れるか。ロッテの調子がすごい悪い。ここがどう出るかですね。絶不調の楽天と2試合しかないのは救いですね。

 

ライオンズにとってこれ以上ない朗報だと思うのが、ヤフオクDでの試合があと1試合しかないこと。ライオンズはヤフオクDで全くと言っていいほど勝てない代わり、メットライフDでは3勝2敗。決して苦手とはしていません。

 

ライオンズは、1番2番を入れ替えていますが、これが機能してほしい。あとは、山川の調子が戻らなければ。もし戻らないなら、中村と打順を入れ替えてもいいと思います。もう打順にこだわるべきじゃない。4番を1年通して経験していないのですから、ここは経験の中村。調子もいいですし。

あとは先発。ここのところ先発が試合を作れていない。これは問題です。リリーフにしわ寄せがくるわけですから。そのリリーフもここのところ失点気味。負の連鎖に陥らないようにしたいところです。

 

ファイターズの優勝の目についてですが、次の旭川2連戦が非常に重要になります。

と言うのも。

ここで2連勝すると、ファイターズは今度は2位争いを考え出す可能性があるんですよね。

向こう2週間ではこの2試合しかない。次にあるのが9月末。それまでにファイターズに優勝の目があるかと言われたら、正直ライオンズホークスに比べて厳しい。

そうすると、それまで優勝争いできると踏めばまだライオンズにエース格を当てて来る。そうでないのなら、今度は2位争いでホークスにエース格を当ててくる。だからこそ、明日明後日でライオンズは確実に2連勝すること、ですね。

 

最後に、この日程がすごい。

 

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これだと、最後までライオンズにマジックがつかない可能性があります。ホークスファイターズが競ってますから、ここの2チームに優勝の可能性がある以上、マジックがつかない。

そうなると、またライオンズとホークスファイターズの試合で決まってしまうのか、と。

 

個人的に面白いのは、「ホークスライオンズどっちかが勝てば勝った方が優勝、引き分けならファイターズが優勝」ですね。さすがにここまでになるとは思えませんが、そうなったら雰囲気がやばそうです。

 

とにかく、ライオンズは次の2連戦は絶対に連勝しないといけません!

そんなところですね〜

 

 

9月

 

夏が、終わろうとしています。

 

と言うには、今年の夏に限ってはいささか早すぎる感が否めません。

 

猛暑猛暑と叫ばれていた平成最後の夏の盛りは、平成一の長さを誇りました。ピークに比べれば幾分か暑さは和らいだ、とはいえ今度は台風の接近、夕立とそれに伴う激しい雷。

空からの雨が地表の温度を下げているのは大変ありがたい事ですが、雷の音というのはいくら聴こうとも慣れるものではありません。

 

みなさんは、今年の夏はどこかに遊びに行きましたか?

それはもちろん海でも川でも山でも良いですし、アニサマに行った、Aqoursのライブに行った、などなど...色々とあるかもしれません。

 

しかし。

浪人である僕にとって、夏休みというのは遊ぶべき時間ではなく、勉強に励める期間、自学自習の期間です。

僕はそれを最大限に利用したか。うつつを抜かさず、娯楽を禁じたか。

僕は到底できなかった。ライブにも行ったし、割と勉強以外の時間が多かった気がします。

 

だけど、もう過ぎ去ったものを取り戻すことはできません。だから、今からどうにかするしかない。

これからは、本当に自分がどれだけ周りと差をつけるか。そのための勝負が待っています。本当に、今年で終わらせないといけない。入試改革などと叫ばれている昨今です。センター試験が終わる前に逃げ切っておく必要があります。

 

僕に足りないものはなんなのか。じっくり検討し、進む道は自分で作り、歩くしかない。

Aqoursだってそうです。活動のモチベーションが、スクールアイドルへの思慕から、廃校を救うという流れに変わった。その考えに一石を投じた浦の星の仲間。そこで初めて、自分たちだけのストーリーが生まれていきました。

 

Aqoursのように「輝く」とか、「奇跡を起こす」とか、そんな大層なことも、形而上学的なことも言えません。

むしろ、ゴールから逆算していくしかないので、Aqoursとは全く真逆です。  

 

模試も増えてきます。成績という名のカーストを見せつけられる機会も多くなる。ただ、そこでどれだけポジティブに居られるかだと思います。

ここからは、自分との戦いというか。

まぁ、そんな気を張っても仕方ないので、落ち着いていきます。

 

とにかく、こっから年明けまではあっという間ですから、基礎を怠らず、最後まで頑張ります。

 

なんとかしよう。

逢田梨香子に、なぜ惹かれるのか?

ふと、「なぜ梨香子さんにここまで惹かれたのか?」と思う時があります。

 

この謎について、自分なりに考えてみました。

そして、最後に一応の答えは出ました。

ただ、単純だし、深いところではどうか分からない。

あまり込み入って考えを煮詰めたわけではなくて、感じてることをそのまま書きました。

 

本当は逢田梨香子さんを知らない人に興味を持ってもらえるくらいならいいのですが、僕の記事などほとんど誰も読んでくれないので、その望みはないですね。

 

しかし、それでも読んでくれる心優しい人たちがいるとは思っているので、最後までできれば読んでいただけると嬉しいです。

 

 

 

 

...みなさんには、自分は「こうして生きていくのだ」という自分なりの「生き方に対する美学」(以下、それを一言で「美学」と呼ぶ)がありますか?

 

みんながみんな持っているとは限りません。むしろ、持ってない人方が多いのではないでしょうか。

 

いつも、梨香子さんの言葉には、どこかそうした「美学」を感じるのです。

Aqoursとしてのインタビューも、1人の声優としてのインタビューも。

それは、僕にとって決定的に欠落した部分です。

 

ところで。

足りないものを求める感情、というのは誰しもが持っています。ただ、それと梨香子さんに惹かれてしまうことはどう繋がるのでしょうか?

 

この問いに対しては、「自分に近い感覚を持っていることから言える」と思います。

 

そもそも、自分と他人は絶対に意識レベルでは同一化され得ません。

たとえば、Aqoursキャストの間でさえそうでしょうか。

いくら「絆」や「仲間」という単語で結びつきを表現しようとも、意識的な部分では誰かと誰かが完全に理解ができたりすることはありません。ましてや、すれ違いなどが起こるのは当然です。

正直、ファンの見えないところでは恐らく考え方の相違はどこかしらにはあるはずで、それが表面化されなかった、言うなれば「仲違いはなかった」としても、それはどちらかが勘付いて譲歩して争いを避けたか、そもそもそういうことが起こらなかった(「火のないところに煙は立たない」と同じ理屈)かのいずれかです。

 

ところで(←またか)、チームとして何かを作り上げていく中で、必ず話し合わなければならない時があります。

たとえば僕の場合ですが、高2で吹奏楽部の最高学年になってから、色々と僕の同期が内部改革を推し進めようとしました。

その中で、「部をどうしていくか」を話し合うことが何度もありました。結果的にそれが上手くいったとは思っていません。後輩や先輩からしたらイキってると思われてしまいましたし。

しかし、結構話し合いの中ではみんなガチで意見ぶつけたりしてて、僕の周りでも意見の相違からバトルするようなことがありました。僕自身はトランペットのパートのことばっかり考えてましたが(笑)

 

Aqoursなら、わかりやすいところでいえば、先ほどのように、ライブにおける舞台演出や、9人(11人)もしくはユニット単位でのパフォーマンスなり、そもそもの方向性や考え方(どういうライブにしていくか?何を観客に提示するか?)などがそうでしょう。

Aqoursがライブ前にそうした話し合いなりで気持ちを揃えてないとは思えませんし、しているなら必ず価値観の相違、認識のズレはどこかに起こるはずです。

 

話が逸れましたが、要するに、「ひとりひとり考え方は違っていて、決して一致することはない」のです。

これはひとつの絶対不変の真理であると思います。

 

そして、僕と梨香子さんで言えば、ひとつひとつの考え方、物の見方は違います。

しかし、先ほども述べましたが、「立場(≒感覚)」は結構似ているような気がします。

これは僕だけではなく、梨香子さんがこれほど支持される上で、ひとつの要素として占めているでしょう。

たとえば、自分のことを「オタク」と言ったり、「自分の声には特徴がない」と言ったり。

自分を必要以上に高く見積もっていないですよね、梨子みたく。

一方で、ファンに媚びへつらうことなく、言いたいことを言いますよね。他には、ライブで自分の発言をネタにしてしまう。

こうしたところは、意識しての行為ではなく、自然の中での行為だと思います。

こうした「直情径行」さもまた、支持される所以だと考えられます。しかし、言いたいのはこれではありません。直情径行、なら僕だってその類です。

 

僕には、梨香子さんに惹かれる圧倒的な理由がある。それが、「美学」です。最初に述べたことです。

 

梨香子さんの各種インタビュー記事などを見ていると、かなりしっかりしているように思われます。

皆さんも是非じっくり読んでみてください。

 

自分はこういう人間で、こういう生き方をしていきたい。

だから、こう思ったり、こういう選択をする。

 

こうした、一本筋の通った生き方、彼女の「美学」をそこかしこに見つけます。

それは僕にとっては決定的に足りない点です。

 

だから、1st後のInstagramであんな記事が出せるのです。これは僕にとっては彼女の「美学」のほんの一部にしか過ぎませんが、1stでの「失敗」から言ってこれは代表的です。

 

https://www.instagram.com/p/BRAOQXpBb95/?utm_source=ig_share_sheet&igshid=10zqllqbx9n3e

 

個人的に、梨香子さんを推している人は、推しているだけではなく、リスペクトしているように見受けられます。

他声優についてどうかは分かりませんが、少なくともAqoursキャストの中ではそうした想いを持つ人はダントツで多いと思います。

そして、そうした人の大半は、恐らくこの記事に影響されたでしょう。「どこから梨香子さんを推し始めましたか?」という問いに対する答えの大半がこれだろうというくらいに。

僕も含め、そうした人は、これに彼女の「美学」を認めたのではないでしょうか?

 

「美学」は、時として自分自身を苦しめてしまう刃となりますが、それ以上に自分自身を方向づける太い幹となります。

彼女は、それに則って生きてきて、こうしたある種「成功」を収めてきているし、生き方に自信を持っているとも思えます。

「歳を重ねることが楽しい」的な発言をしていましたが、それもその表れでしょう。

 

そして、彼女はこれから先何があろうと、きっと輝いているだろう。僕にはそういったある種の「確信」があります。

僕にないからこそ、尚更にそう思います。

 

そして、「あなたが逢田梨香子から受け取った最大のコトやモノは何か?」という問いに対しては、僕は「美学」と答え、僕なりの「美学」を確立していきたいです。

今、一応、受験勉強というものはしているけれど、そうした「美学」に則っていければいいなあ、と思ったりします。まぁ、そんなこと言ってる場合ではないですね。

 

最後に、述べたことは、ひいては「生きる意味とは何か」にもつながってくるのではないでしょうか?

 

 

 

 

...ここまでで話はおしまいです。

逢田梨香子という人間に惹かれるのはなぜか?」について、簡単にですが、考えてきました。

僕は、「美学」という言葉を多用してきました。この言葉が的確に表現していると感じたからです。 

 

これも自分なりの考えなので、きっと相違を感じる人がいるでしょう。それはそれでとても貴重なものだし、僕の考えが唯一だとも思いません。

ただ、こうした考え方もある、と受け止めてくれれば幸いです。

 

これからもずーっと梨香子さんを応援していきます!!

8/8に想うこと。

 

 

8/8が僕にとっての1つの夏の大きな日となったのは、ここ最近の話です。

 

逢田梨香子さんを声優として好きになり、人間として尊敬するようになりました。それが「もう」2年半も前の話です。

 

この間に流れた月日は、思ったよりも、長いようで短かったように感じます。

 

2年半、も経ったのか。

2年半、しか経ってないのか。

 

多分、後者なんだろうな。

 

これからも、ずっと想いは変わりませんから。

 

自分の立場的にも、梨香子さんを尊敬してる、と高らかに宣言できるほど、何か梨香子さんにしてたりとか、実際のところ、そういうのがないんですよね。

 

だから、言ってるだけで、全然何もできてない。

 

逢田梨香子さんというのがどういう声優で、どういう人間なのか。何が好きで何が嫌いか、何を考えて生きているのか。

 

あまりに度を越すと気持ち悪いですが、知りたくはなる。

 

それを何かしらの手段で、仲間と共有する。それも楽しいし、いい事だとは思います。ただ、それよりも、僕は常に胸にそういうのは仕舞っておきたい。そう考えています。

そういう想いは仕舞うだけでは伝わらないから、たまには発信しなきゃいけない、この文章もそういうつもりです。

 

本当なら、梨香子さんに直接伝えなきゃいけないことだし、何かプレゼントなど形の残るものを贈りたいとも思ってます。

今それができないのが本当に残念ですが、今こうして自分がなんとかやっていってるのが、結果としてもし現れる時が来たならば、梨香子さんに伝えたい。

 

やるべきことは、しっかりやれよ。

 

って、梨香子さんは言うでしょうから、いまは梨香子さんより、自分の人生を良いものにしていくために、何とかすべき時なんだと思ってます。

だから、今はこれで良いと思います。

 

他のファンの人は、色々とすでに梨香子さんにしてると思います。それこそプレゼントを贈ったり、手紙を書いたり。

梨香子さんに何かできなくても、「自分はこんなに梨香子さんを愛しているんだ」ということで、R.A.であるとか、梨香子さんが表紙のヤンジャンを何冊も買ったり、梨香子さんが載っているMy Girlを沢山買ったりする人も、もちろんいるだろうと思います。

そういうのを見て、「先を越された」とか、「負けた」と感じる瞬間があるのは事実です。

ただ、「『ってそこまで関係ないんじゃないか」というのはいつも思ってます。批判するわけではありません。

」というか、「じゃあどれだけ好きなんだ」っていうのは、言葉であったり、絵であったり、クリエイティブなことで表現したいです。お金も自由にない今、なおさらそう思ったりします。

 

で、「そんなんお前のエゴじゃねえかよ」って、きっと言われそう。それは確かに一理あります。所詮は綺麗事、なんですよね。

沢山買うのは、それだけ梨香子さんを好きでいるのと、大して変わらないしなぁって思います。正直言って。

写真集の売れ行きが女性声優史上最速?とかですよね、確か。

そういうのも、沢山買ってる人がいるからだと思います。それが印税として梨香子さんの元に入る。それは現実です。認めざるを得ないところです。

 

ただ、個人的に、だからこそ「何もしない」のは寂しい。

だから、所詮は綺麗事、と分かっていながらも、こうして些細ながらも、書いています。

これが梨香子さん本人に伝わることはまずないとは思いますが、想いの「」を高めていけば、本当に直接伝えるときにイメージが違うと思います。

手紙でも、直接でも、です。

 

何かしらの経緯で残るべきモノは形を失ったとしても、最後の最後に残るのは個人個人の「想い」なんだと思ってます。廃校しても名は刻まれた、沼津の高校とどこかよく似ています。

 

自分は、梨香子さんから色々なことを2年半で学びました。その中で、やはり「初志貫徹」は最大のものだと思います。

またR.A.の記事にも書きますが、僕が知る中で彼女ほど、強い決意と勇気で「己の世界で生きていく」と決めた人はいないと思います。

 

これを最初に知ったのが、横浜アリーナでの1stライブ後のインスタグラム。

あの文章の、まさにこの部分です。

ここを読んで、人生が変わりました。

 

みんなは、最高のパフォーマンスだったよ!とか感動した!って言葉を沢山くれたけど、失敗は失敗。プロとしてステージに立たせて貰ってる以上失格です。本当に反省しています。

その後は笑顔でパフォーマンスすることしか私には出来なかった。泣く資格なんてなかったから。

 

本当に、この部分を読んで、自分の中の何かが変わりました。

現地やLVで実際にあのシーンを見たわけではありません。ただ、梨香子さんの文章から、情景がありありと脳裏に浮かんできて、それでもなお、何かが心に訴えかけてきました。

確かに、ミスは「失敗」だと割り切る人もいるでしょうし、そこから気持ちを切り替えていく人もいると思います。

ただ、「失格」とか、「泣く資格がなかった」とまで表現したんです。

今思えば、梨香子さんなりの「覚悟」の現れなんだと思います。

R.A.の記事でも触れますが。

 

ところで、「」と「」は違う、と以前テレビで専門家が言ったのを覚えています。

」は「自分にない部分を好きになること」、「」は「自分と違う部分まで受け入れること」だったように記憶しています。あの時は「確かにその通りだ」と思いました。

なら、今のこの梨香子さんに対する気持ちって、「」なんだろうと思います。微熱まで言えるかは...うーん。

って、本当キモいな。梨香子さんに申し訳なさしかないですね。

 

つまり、梨香子さんがあそこで語ったのは自分にはない部分でした。「こんなに俺は自分の人生大事にしてないよなぁ」って、強く思いました。

で、自分の人生を大切にしたいと思うようになったのも、ここ最近の話です。梨香子さんがああいうことを書かなかったら、今の自分は多分ない。

 

R.A.のインタビューもとても「」を感じたのですが、また、別の機会にしたいと思います。

 

以前から僕はもちろん「桜内梨子」としての逢田梨香子さんは知っていました。そしてあの一件から、内面がこういうものだと知ったとき、「本当のこと」を知りたいと思うようになりました。これからもそういう想いは変わりません。

 

自分の人生は一度きりだから、やりたいこと、できることはやっていく。そして、妥協せず、決めたことは貫き通す。

 

そういうのが、今の自分に1番足りてない部分で、かつ1番梨香子さんを尊敬している点です。ここ最近は、色々なことに挑戦していますよね。よりこうした想いは強くなりました。

声優だから、これはダメ。そういうのじゃなくて、自分の人生の1ページとして刻まれるものだから、挑戦できるんじゃないかな。

と思ってます。

 

今は梨香子さんについて、この程度しか語れません。自分の想いがまだそこまで深くないのかもしれません。

また自分の人生に区切りがついたら、ゆっくりと梨香子さんについては考えたいと思います。

 

R.A.についても色々思うことがあったので、それはまた別個にして出します。

 

僕は本当に梨香子さんを知れて良かったと思います。「運命」というにはあまりに陳腐ですが、こういうのも「人生に時々あるみたいな、びっくりなプレゼント」のひとつだと、思っています。

最初の入りの形はどうであれ、梨香子さんに出逢えて僕は本当に良かったと思っています。

 

初めてきちんとアニメを最初から最後まで観た「ラブライブ!サンシャイン!!」で。 

 

初めてアニメのキャラクターを好きになった「桜内梨子」のキャストに。

 

なにより初めて「逢田梨香子さん」という一人の声優に、惹かれたんです。

 

全てが「初めて」だったからこそ、特別に、こういう想いを持っています。

 

そして、これは多分ずっと変わりません。 

 

Aqoursも、梨香子さんも、まだまだ夢の途中なんだろうと思います。

ここで、僕の好きなアーティストであるAAAの楽曲から、ひとつ引用させてください。

AAAの楽曲にはほぼラップが入りますが、僕の尊敬する人物の一人、日高光啓(SKY-HI)さんが毎回担当してて、これもそのひとつです。

 

Glory Glory Glory
It's the half way of story
この旅路は今どの辺りだ?
痛みも涙もここまで来た証さ
君に渡す言葉を探して歩くだけ
いつかこの命が尽きるまで

『WAY OF GROLY』より

 

より一層、胸に響きました。是非梨香子さんにも一度は聴いてほしいです。いつかオススメできるといいなぁ。

 

そして僕も、夢の途中です。

 

一緒にをまだまだ追いかけてたいですね。

 

ここら辺でいい加減締めようと思いますが、なんか、好きだとか尊敬してると言う割には、普通なものだったかな、と思います。

 

でもあえて、拙いですが、ありのままを書きました。これが僕にとっての今のすべてです。もしこれを梨香子さんが読んだらどう感じるかな?って思って書いたら、こうなりました。

 

そして、まだまだ、梨香子さんを知りたいと思ってるし、尊敬される存在になりたいと思っています。

 

 

本当にこれで最後です。

 

 

梨香子さんへ。

 

改めまして、お誕生日、本当におめでとうございます🎉

 

8/8が、僕にとってなんでもない日ではなくなったのは、紛れもなく梨香子さんのおかげです。本当にありがとうございました☺️

 

そして、これからも。どうかよろしくお願いします🌸

 

--

 

I'm so happy to see you,”Rikako-san”!!!

 

And...

 

Thank you,”FRIENDS”!!!!

 

 

 

総まとめ、の4th。

 

 

ありしゃ曰く、4thは

 

一区切り、総まとめ

 

だそうです。

 

 

 

総まとめ、というのは、1st〜3rdのことですよね。

 

前の記事でも言及しましたが、4thタイトルから察するに、これから新たに漕ぎ出すライブ、という位置付けなはずです。

 

Aqours 3rd LoveLive! Tour ~WONDERFUL STORIES~ - Sunshine is Future of Aqours.

 

過去や未来に囚われずに、現在を楽しく生きれる人はいない

 

畑亜貴ダヴィンチのインタビューで言っていました。 

 

 

 

0→1という始まり、即ち過去から続いてきたひとつの物語の中で、0→1はすでに達成されました。

また、過去の中で、廃校という別の意味で0に戻るような事柄は達成されています。

そうした過去を振り返って、またどこへ向かうのか。

 

 

 

 

ところで、航海に欠かせないもの、それは「羅針盤」や「地図」です。

これらの役割を果たすのが、今回の4thだと思います。

 

 

 

では、今回4thを総まとめのようなライブにする意味は、果たしてあるのでしょうか。

 

 

 

「現在(いま)を生きるために、時間をもう一度さかのぼる」

 

 

 

これが、あえて4thを総まとめにする意味だと思います。

 

過去からの意識の繋がりが、現在の自分たちの立ち位置、そして振る舞い方を決めるのです。

 

かなり形而上学的な話ではありますが、この物語自体が哲学を問うようなものです。

 

 

 

ライブと連動してストーリーをなぞっていけば、

1stは、「はじまり」で、

2ndは、「みちのり」で、

3rdは、「おわり」です。

 

「おわり」を迎えた今、4thライブをあえてこうした位置付けにするのは、1stのような「はじまり」をまた迎えるために、だと思います。

 

 

 

 

なによりも、

 

 

「もうひとつのAqoursの物語」を、

 

 

言い換えれば、

 

 

「One More Sunshine Story」を、

 

 

創るために。

 

 

 

 

新たな「ストーリー」は、まるでデジャヴのように。

 

 

4thは「はじまり」で、

 

 

劇場版は「みちのり」です。

 

 

その後に待ち受けているのは、やはり、

 

「おわり」

 

なんだろうと思います。

 

 

 

総まとめをする意味は、また「はじまり」たいから。

 

そう思います。

 

 

 

 

だから、タイトルは、「SAILING TO THE SUNSHINE」、「未来への旅立ち」なんだと思います。

 

 

 

 

そして、映画では「海を渡ろう」として、「Over the Rainbow」、つまり、「虹を超える」んだと思います。

 

 

 

じゃあ、虹というのが一体何を象徴しているのか。

 

またそれは、別の記事にしたいと思います。